38歳にして娘を授かった。

2019年10月14日祝日の夜。

改めて9月30日のことが思い出される。

娘が生まれた日だ。

その日の気持ちを忘れないためにもどうにか文章にして記録しておかないと、と思っていたものの2週間があっという間に経ってしまった。

もうギリギリだけど、あの日の緊張と感動はまだ忘れていないから一人(妻は退院後実家に)のうちに書き留めておこう。

ドキドキ

9月30日を迎えるにあたり、嬉しさ半分ドキドキ半分というのが正直な気持ちだった。

いや、ドキドキのほうが大きいか。

ドキドキの理由は一つ。

妻がある病気を持っているためだ。

その影響がないように、高価な機械を常に携帯し、病気とうまくつきあえるかってことが妊娠期間中において一番重要なことだった。

病気の影響によってお腹の子供にどんな影響があるのかってことを調べたけれど、調べれば調べるほどに「調べなきゃよかった」なんて後悔した。

調べたりして一憂していたが、妻は「大丈夫だって!そのためにこの機械をつけてるんだもん。高価なだけあって数値もいい感じなんだー」なんて強気だ。

心強い。

妻のこういうところはほんとうにありがたい。

いやいや、妻をはげますのは俺の役割やん!なんて思ったりもしたけれど、仕方ない。

だって俺はビビりで妻は明るくて強いんだもの。

役割分担。

そういうこともあってか、やっぱり出産前日も当日もソワソワしているのは俺の方。

妻なんか点滴片手に笑顔で手術室に乗り込んで行ったんだ!

 

帝王切開が終わると先に娘が出てくるのが知らされていた。

知らされていたけど、なんでまた子供から先に出てくるんだー!?なんて思ったりもした。

元気な姿で出てきてくれー。

どうか満足な身体でありますように。

ほんでまた、妻も無事でいてくれー!

ってことを何度も何度も考えた。

それしかなかった。

で、出てきた。

保育器に入って出てきたのはまさしく私の子。

だってそっくりだったんだもん。

可哀想なくらいに。

その何十分が後には妻が出てきた。

感動して泣いていたみたいで目が腫れていたけど元気そう。

良かった。

妻が無事で本当に良かった。

と思う暇もなく「お父さんだけ新生児室にきてくださーい」というお声がかかった。

おそるおそる新生児室に向かうと、わりかし豪快な感じで助産師さんが娘を保育器から取り出す。

「はいお父さん、ビデオ回してくださいねー。ほらお父さん、指を数えますねー。足の指も数えますねー。お尻の穴もきちんと空いてます。バッチリですねー」

なんて軽い感じで進めてくれる。

こういう軽さがないと命と向き合うことなんてできないんだろうなーと思った。

何か問題があればその時に対処すればいいやん?っていう感じ。

プロはすごいな、なんておもっているうちにガーゼで拭かれてどんどん綺麗になっていく娘ちゃん。

大声で泣く娘ちゃん。

それをビデオに撮る私。

涙がこみ上げてきたけれど、助産師さんの「お父さん、やっと生まれてきてくれたねー!感動するねー!泣けてくるねー!」っていう例の軽さで涙が引っ込んでしまう。

俺も強くあらねば!なんて思ったわけじゃなく、助産師さんにひっぱられた感じで結果強い男?を演じることができたように思う。

そうでなく、感動した。

ほんまにほんまに可愛いと心から思った。

愛おしくて仕方がないってこういうことなんだって思った。

次の日の仕事中、昨日のことを思い出して涙が出てきた。

助産師さんがいないところではこうも涙もろくなるんだな。

平日は会えないけれど、週末には会えるし、何より11月からはいよいよ我が家で一緒に住むことになる。

病気やなんやら心配だけれども、心配しても仕方ないし、何か問題があっても落ち着いて対処していくことをここに誓います。

娘のためなら医療機関でもなんでも誰にでも頼ろうと思います。

独りよがりになることなく。

2週間経って今、改めて思います。

生まれてきてくれてありがとう。

と、ドキドキを乗り越えた妻、おめでとうと、ありがとう。

娘へ

笑顔でいてくれるよう、環境を整えます。

あなたに笑顔を強いることはしません。

が、あなたが笑顔を忘れることのないようにバックアップしていきます。

というより、お母さんを見習ったら良いよ。

お母さんはいつも笑顔だから。

とりあえず、お母さんの真似をしてたら良いと思う。

強い女になれると思うんだ。

生まれてきてくれてありがとう。